夏になると森へ
ミリチーンの森
さあ、夜は森でキャンプァイアー!
ミリチーンの森
子どもの頃、お兄さんのように親っていたイルカとミリチーンの森で。
ミリチーンの森
キャンプファイアーを囲んで飲んだり歌ったり。ソーセージを枝に刺して焼き、からしを塗って黒パンと食べるのがチェコ風。

まぶしい初夏が訪れるとチェコの人々は、足取りも軽く森へと向かう。
チェコの森には、人を惑わす妖精がいるという。そんなおとぎ話を信じたくなるような、どこか怖いイメージがあるのだが、一歩中へ踏み入れば、豊かな実りの森が迎えてくれるのだった。松やにの香りのする、見上げれば針葉樹にすっぽりと覆われた、木漏れ日だけが差し込む緑の世界。

チェコの森といって真っ先に思い浮かぶのは、ブルーベリーやキノコを初めてとったミリチーン(プラハの南約50km)の森で、我が家はよく
「よし、じゃあミリチーンに行こうか」
と、週末に思い立っては車を走らせた。
高速道路を下りると、牧場地が現れ、リンゴ並木をゆるゆると走らせる。いつもお昼を食べに行った1軒しかないホテル兼レストランが目印で、教会の前の急な坂を下って右に折れると、ゆるやかな坂道の途中にその家はあった。

春から夏にかけてのみ、ミリチーンの田舎に住んでいたピアノの先生のお母さん、バビチカ(おばあさん)の暮らしが子どもには珍しくて仕方がなかった。水を汲みに坂の下の井戸へついていき、おばあさんたちの井戸端会議が決まって始まった。薪オーブンに火をくべるところも、バビチカが洗ったジャガイモを庭に持ち出し、椅子にこしかけて小さなナイフでカリカリと薄皮を削ぐ様子も面白かった。

森の恵みで作るチェコ料理
ミリチーンの森
1986年、ミリチーンの夏。庭で踊るバビチカと母。
ミリチーンの森
小さいけれど居心地のいいバビチカの家の庭で。

 早朝、手に手にかごを持って森へ続く道を歩くのは、なんとも気持ちがいいもので、農家を何軒か過ぎると、遠くにあった畑がだんだんと近づいてきた。日の当たる道では、「ほら、ラズベリーだよ」「ここにはブラックベリーがあるよ」と教えてもらいながら摘んで歩き、やがてうっそうとした森の中へと入っていく。

森で収獲があれば、それはそっくり昼ごはんになるのだから、「今日はキノコのフライが食べられるかな」、とか「ブルーべリーの入ったオヴォツネー・クネドリーキをバビチカは作ってくれるかあ」などと考えながら、歩いた。

クネドリーキといえば、チェコの代表的な肉料理に必ずといって添えられる蒸しパンのようなもの。クネドリーキの中でも季節の果物が入った甘い主食オヴォツネー・クネドリーキは、特に自家製がおいしかった。
ブルーベリーは、地に這うように生えているので、しゃがみ込んで小さな葉の陰をよくよく探さないと見落としてしまうほど小さな粒だ。それを少しずつ集めて、ビンや籠に一杯になると、湯気の立ったクネドリーキが目の前に浮かんできた。

ミリチーンの森
82歳のアンドロロヴァーおばさんご自慢のオヴォツネー・クネドリーキ。作るのを、しっかり手伝いました。

採れたてのブルーベリーのクネドリーキはおいしいのに、困ることがひとつあった。食べると、お歯黒をしたように、口の中が紫色に染まる。ある日、バビチカの口元を見た私たちが、「バビチカの口、真っ黒だあ」と言って笑ったとたん、バビチカが不機嫌になって席を立ってしまったことがある。「おばあちゃん、冗談よ」と娘さんになだめられていたバビチカ。紫色の口で「そんな風に大人をからかうもんじゃありませんよ! 」と本気で怒っている姿が、よけい私たちの笑いを誘った。

石づきがぽってりとして、ビロードのようになめらかな茶色の笠をしたキノコは、キノコの王様と呼ばれるHrib(フジップ。イタリアでいうポルチーニと思われる)。
これを見つけたときは、「これは最高においしいキノコだよ」と大人に感心されて得意になった。だが、キノコ狩りの経験者と一緒でないと、キノコを採るのはとても危険なことが、こうして森を歩くうちにわかってきた。キノコの種類は多く、食べられるキノコそっくりの毒キノコもあるからだ。

そんな時、バビチカは「キノコをかしてごらん」と言って笠の部分を手で割って、割った所を舌にちょっとつけてみるのだった。「これはだめだ」とバビチカがいうと、私や妹は子ども心に、「バビチカ、毒キノコを口につけて死なないの?」とおっかなびっくり聞いたのだった。

キノコがたくさんとれた時も、さっそく昼ごはんとして登場した。フライにして、ゆでじゃがいもを添えて、タルタルソースをつけるというシンプルなもの。キノコはスライスして乾燥させれば保存食になり、ポテトスープに欠かせないものとなる。

冬になると野菜や果物が手に入りにくかった70年代の社会主義時代。
チェコ人にとって海外旅行もままならず、ひと夏を別荘で過ごす人は多かった。夏の間にキノコを乾燥し、ベリー類、アンズやサクランボは砂糖で煮て、コンポートやジャムにして瓶詰めにした。こうして冬のための保存食作りも、チェコ人の大切な生活の一部になっていたのだが、何でも買える今はどうだろうか。“ 不足”が日常的な時代を日本人の子どもとして体験したことが、かえって私の人生をより豊かにしてくれたような思いがする。