何かへの継続した強い気持ちが、思いがけない出会いを呼ぶことがあります。"チェコ"という一つのキーワードを巡ってもそれは同じ。チェコで生まれ育った人、チェコが育んだ文化や芸術、そしてそれを愛する人……人と人との関係で生まれるからこそ、時に予想以上の出来事をもたらすこともあるようです。

元教え子がプラハにやって来た

雑誌の取材を兼ねて、プラハに1ヶ月滞在した2003年11月のこと。以前、都内の語学学校でチェコ語を教えていたときの生徒Sさんが、イヴァ・ビトヴァーのコンサートを聴きに、プラハへ来るという。しかもご夫婦でたったの4泊5日という日程。チケットは、チェコの駐在員になった、もと同じクラスの生徒に手配を頼んであるので一緒に行きませんか、と誘われた。ぜひ聴きたかった歌手のコンサートに、思いがけず行くことになった。
Sさんといえば、チェコ語講座で最初に自己紹介したときのことが、とても印象に残っている。「イヴァ・ビトヴァーというチェコの歌手の大ファンなので、いつかファンレターをチェコ語で書きたいと思っています」控えめな声なのに、夢がはっきりしていた。
教師を卒業した私は、その後Sさんと会う機会はなくなったが、風の便りにチェコ語は続けていると聞いていた。イヴァ・ビトヴァーのコンサートを聴きにプラハへ来るSさんの、どこにそんな情熱がひそんでいるのだろう、と思った。

イヴァ・ビトヴァーといえば、ヴァイオリンを弾きながら歌う、即興性の強いパフォーマンスで知られるが、その独特の表現ゆえに音楽のみならず、多方面から注目を浴びている歌手だ。ビロード革命後に何度か来日もしていて、彼女のコンサートへ行った人の話は聞いたことがあった。
コンサート当日、文化人が集うので知られる、ヴルタヴァ河の見えるカフェSlaviaでSさん夫婦と待ち合わせをし、フラッチャニ城内のMíčovna(ミーチョヴナ)という会場へ向かった。城の裏門の方から暗い庭園を行くと、ライトアップされている幻想的な建物が浮かび上がった。それが、Míčovnaだった。もともとは球戯場だった長方形の建物で、そこに何百という椅子が並べられた様子は、壮観だった。私達は後方の席だったので、舞台はチェコ人の背中越しに見るしかなかった。それでも、イヴァ・ビトヴァーの生の声を聴けたことに興奮していた。

イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
イヴァ・ビトヴァーの公演終了後に、Sさんを連れて楽屋へ行く

コンサート終了後、Sさんを見るとまだ顔が紅潮している。静かな口調で、すごくよかった、感激です、という。そのSさんが、このコンサートを聴くために4泊5日でチェコへ来たことを、なんとかイヴァ・ビトヴァーに伝えなくては。使命感をもった私は、恥ずかしがるSさんを楽屋へつれていくことにした。出口へ向かう人の波をかきわけ、ようやく舞台裏へもぐり込むことができた。私はSさんに言った。
「Ivaさんに片言のチェコ語でいいから、日本から来たファンであることを伝えて、プレゼントを渡さないとね」
ところが、イヴァ・ビトヴァーが現れたとたん、Sさんは感激のあまり固まってひと言も発せなくなってしまった。ずっとおし黙っているわけにはいかない。気がつくと、Sさんの代わりに話しだしていた。

イヴァさんのお守り
イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
イヴァさんを楽屋に訪ねると、奥から楽譜を持ってきて開いて見せてくれた。そこに張ってあったものはSさんからの手紙だった!

「Sさんは、あなたにチェコ語でファンレターを書きたくて、私のもとでチェコ語を勉強しました。今回は4泊5日の休みを取って、あなたのコンサートを聴きにプラハへ来たんですよ」
「あなたのお名前は?」黒いステージ衣装で額に汗をにじませながらイヴァ・ビトヴァーがSさんに聞いた。
Sさんの名前を告げると、ピンと来たわ!という仕草をして、奥からなにやら取ってきた。それは楽譜で、私たちに見せるように表紙をゆっくりめくった。裏表紙には紙片が貼り付けてあった。
「これは、あなたの書いてくれた手紙?」と慈しみのある目でSさんを見るイヴァ・ビトヴァー。Sさんはあっ、と声をあげた。
「ほら、あなたにもらったお手紙を楽譜に貼って、お守りにしているの」
通訳すると、Sさんは涙を抑えきれなくなっていた。Sさんの一途な思いが、イヴァさんに通じていたのだ。
すると、突如思いついたように、
「ねえ、私のうちに来ない?」とイヴァ・ビトヴァーが言った。
突然の誘いに驚いた。よくよく聞くと、イヴァさんの家はプラハでなく、チェコ第2の都市Brnoの郊外にあるという。急行列車を使っても、最低でも片道3時間はかかる。
「たった4泊5日なので、時間が・・・」と事情を話すと、
「じゃあ、来れそうなら電話ちょうだい!」と言って電話番号を書いたメモを渡してくれた。毎回、コンサート会場をいっぱいにする人気歌手のイヴァさんが、こんなに気さくに自宅へ呼んでくれるなんて、日本ではありえないことだね、とSさん夫婦と話しながら帰った。その日のことは、私にとっても夢のような出来事でなかなか寝つけなかった。

イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
チェコで人気の絵本“もぐらくん”を翻訳したことをイヴァさんに話し、日本語の絵本を差し上げた。イヴァさんからはCDを贈られた
イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
イヴァさんの入れてくれたお茶を飲みながら、音楽やツアーの話、お互いの国への思いなどを話す

コンサートの翌々日の早朝、私と母とSさん夫婦の4人はBrno行きの急行列車に乗っていた。到着時刻を知らせていたものの、ポップスが好きなチェコ人なら誰でも知っているイヴァ・ビトヴァーが、本当にBrno駅まで、迎えに来ているのだろうか。半ば信じられないような気持ちでBrno駅へ降り立った。
彼女は停車させた車の近くに立ち、私たちを見ると笑顔で迎えてくれた。楽屋で会ったときと違って、ラフな格好でお化粧もしていなかった。スター然としたところが全くない。
イヴァさんの運転する車中、お互いのことを話しながら30分ほど車を走らせただろうか。ひっそりと、丘陵に囲まれるような静かな村に着いた。ガレージに入って最初に目についたのは、「白州」という文字だった。よく見ると、舞踏の田中泯さんが主催する夏の「ダンス白州」のポスターだった。毎年夏、白州にある小屋で過ごしていた私と母は、本当に驚いた。そのことをイヴァさんに伝えると、何度も日本に招かれているが、日本で一番好きな場所は白州だ、となつかしそうに思い出を語った。

イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
天井が高く広い部屋で目に飛び込んできたのはグランドピアノと譜面台。庭からやわらかい光が差しこんでいた
「どうぞ入って。古い家なのよ」
田舎屋を改造したのだろうか。家の中に入ると、どこかスペインの農家のように、壁もぬくもりがあり、包まれるような心地よい空間が広がっていた。そこに、温かな色のランプシェードや壁の絵など、イヴァさんの好きなものが置かれていた。
「ここが私の仕事場よ」と通されたのは、グランドピアノが置いてある広い部屋で、窓から庭のりんごの木が見えた。

日本へ持ち帰ったチェコのまごころ
イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
母が折鶴を糸に通したものをイヴァさんに贈った。イヴァさんは喜んで、さっそく飾るわと言った

キッチンの見える居間で、イヴァさんがお茶を入れてくれた。出されたのは、お茶だけなのだが、それほど珍しいことでもない。主役は会話、という考えがあるから招く方も日本ほど気を遣わないで済むのだろう。
わが母ときたら、イヴァさんが日本へ行ったことがあるなら日本食が好きに違いないと、キッチンで簡単な巻き寿司を作り始めた。そんな申し出にも、どうぞどうぞとキッチンを使わせてくれる。イヴァさんは、おいしそうにお寿司を頬張った。

Sさんが、最初にイヴァ・ビトヴァーの歌声に接したときの話をした。アメリカ映画「耳に残るは君の歌声」の中で使われた「Dido'sLament」(ディドの哀歌)という歌だったという。 その曲にいたく感動して歌声の主を探し始めた。それが、チェコのイヴァ・ビトヴァーであることを突き止め、サントラCDを買い、チェコ語の勉強を始めたのだった。
イヴァは、嬉しそうにSさんの話を聞いていて、自分も日本への特別な思いがあると語り始めた。父親が、昔東京にあったチェコレストランで、ヴァイオリンの生演奏をしていたことがあり、日本からおみやげに人形やおもちゃを持ち帰ったこと。日本は遠いけど、いつか行ってみたいあこがれの国だったこと。演奏のために、色々な国へ招かれるけれども、日本へ行ったらとても好きになってしまったこと、など。

イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
11月とは思えない暖かな日。イヴァさんに誘われて、お気に入りの散歩コースを一緒に歩いた

その日は小春日和で、イヴァさんの提案で散歩に出かけることになった。周辺は、なだらかな丘で気持ちいいからひと巡りしてきましょう、という。家のある道を過ぎて、丘をゆっくりのぼり、眺めを見ながら頂上で一息。イヴァさんがジョギングするコースなどを聞きながら歩いていると、昔からの知り合いのような錯覚を起こしそうだった。坂を下るとき、右手に教会の先端が見えると、彼女がそれを指して言った。
「あの小さな教会で、Kolednice(クリスマス聖歌)を地元の子ども達と歌って収録したの。さっき差し上げたCDのね」

イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご
イヴァさんの庭でとれた赤いリンゴをプラハまで大事に持ち帰り、アパートの窓辺でカメラに収める。
外には霧が立ち込めていた

散歩が終わってイヴァさんの家に戻ると、プラハ行きの列車に乗る時間が迫っていた。イヴァさんと過ごした時間は、3時間ほどだったろうか。日本から来たファンを、気さくに自宅に招いてくださり、自分の世界を見せてくださった心に感謝しつつ、席を立った。玄関近くに置かれた籠に、きれいな赤いりんごが盛られているのに気がついた。
「きれいな赤いりんごですね」と言うと、うちの庭でとれたのよ、どうぞ持って行って、と私たちに勧めてくれた。片手で包み込めるような小ぶりの、赤いりんご。イヴァさんにもらった、温かな気持ちそのもののように感じて、プラハに大事に持ち帰ったのだった。

イヴァさんとの出会いをエッセイに書くことになり、写真の掲載についてメールで尋ねた。久しぶりに連絡したので、返事が来るかどうか内心ハラハラしていた。
すると、翌日イヴァさんから次のようなメールが届いた。

親愛なる有子!
色々なニュースを書いてくれてありがとう。写真はどれも楽しそうに撮れていて気に入りました。どうぞ使ってください。Sさんから、最近連絡がないので寂しいです。このメールを転送して下さいね。あなたのお母様とはプラハでばったり会ったんですよ。太陽のような笑顔でした。それから、私たちは新しい住所に変わりました。次男のトニークとアメリカのニューヨークに1年間住むことになったのです。日本の聴衆のために、またコンサートをやりたいものです。田中泯さん始め、音楽関係者によろしくお伝え下さい。

イヴァ・ビトヴァーと赤いりんご

「2007年6月、イヴァ・ビトヴァー主演の映画『TAJNOSTI(チェコ語で“秘密”の意味)』をプラハで観る。イヴァの役どころは、何事にも恵まれた主婦。しかし、家族には言えない秘密を持っていた。ちょっとしたことで歯車が食い違い、家族はやがて元通りに戻れない状況に陥るのだった。監督は、Alice Nellis。プロデュースは、「コーリャ愛のプラハ」を監督したJan Svěrák。

Iva Bittová のホームページ
http://www.bittova.com/

映画"TAJNOSTI"について。チェコテレビのホームページ
http://www.ceskatelevize.cz/specialy/tajnosti/kapitola1.html

Jan Svěrákのホームページ
http://www.sverak.cz/index.php