チェコの代表的な焼き菓子、コラーチがたくさん焼いてあった。おじさんが焼いたんだぞ、と母に自慢していた。
2003年、ノヴァーコヴァーさんと1年ぶりに再会して。コラーチたくさん食べなさいよ、といつもように勧めるのだった。
「もちろんですよ。まだチェコ語がわからなかった時でしょう」おじさんがすぐに答えた。父がハンガリーへ出張している時に、母が風邪かなにかで寝込んでしまったことがある。晩秋だったか、外はすでに真っ暗だった。母に言われてベッドに紙とペンを持っていくと、母は紙に絵を描き始めた。「私は病気で寝ています。子どもに何か食べる物を下さい」と一目見てわかる絵だった。私は3歳の妹の手を引いて、ノヴァーコヴァーさんの家に母の手紙を届けた。ノヴァーコヴァーさんは、すぐにパンやサラミを出して私たちに食べさせてくれて、食料も色々と持たせてくれた。それがきっかけで、ノヴァーコヴァーさんはわが家にちょくちょく来てくれることになり、シーツなどの大きな洗濯物をお願いするようになった。母はノヴァーコヴァーさんやヤナが家に来ると、ノートを持って野菜をひとつひとつ指を指しながら名前を教わり単語を憶えていった。
ある時、母が家の鍵を持たずにドアを閉めて入れなくなったことがあったが、おじさんがドアの錠を壊してくれて中へ入れてくれた。父が出張で留守がちだったわが家は、ノヴァーコヴァーさん一家がそばにいてくれたことで、どんなに母は心強く思ったことだろう。
おじさんは妹を、のりこの愛称「ノリチカ」とか「ひよこちゃん」と呼んでかわいがってくれた。アルバムを開き、妹が3歳ぐらいの頃の写真を私たちに見せて、
「ノリチカはね、こうして僕の手の平に乗るくらい小さかったよね」とコロコロと転がるような声でお腹をゆすって笑った。
私が留学を終えて帰国する前に、妹がチェコにやって来た。 妹は7歳でチェコを離れたので12年ぶりの再会。手の平に乗るくらい小さかったノリチカ。こんなに大きくなりました、とおどけるふたり。 |
年が明けると、絵本の翻訳の仕事で忙しい日々を送りながらも、心はすでに初夏の光がまぶしいプラハへと飛んでいた。なんとか6月に3人でプラハへ行ってノヴァーコヴァーさんに会えないだろうか……。
東京の桜が満開になり、チェコへ行く日程も6月に決めたある日のことだった。1通の手紙がチェコから届いた。封筒の宛名の場所に、英文の私の名刺がそのまま貼ってあるのにちょっと驚いた。差出人の苗字には全く見覚えがなかった。宛名を書かずに名刺を貼り付ける人って誰だろう。きっと仕事で出会った人か何かだろう、と思いながら封を開けた。中に入っていたのは黒枠のレターになにやら印刷の文字。そして手書きの短い手紙が1通。手紙を先に読んだ。
「悪い知らせです。父が何も言わずにあの世へ行ってしまいました。母は私が引取りました。あなたとお母さんがなるべく早く訪ねてきてくれるのを、母は心待ちにしています ヤナ」
(ヤナって、どのヤナかしら)事のなりゆきが飲み込めない私は、黒枠のレターを手にした。Jaroslav Novákという名前があった。「ヤナが書いたって、ひょっとして、ノヴァークさん……?」気が動転した。すると、車いすのノヴァーコヴァーさんは、娘のヤナのところに引き取られたということだろうか。あの仲むつまじい夫婦に、まさかそんな事が起こるなんて。車いすのノヴァーコヴァーさんが、夫の身に何かあった時の姿を想像しただけで胸がしめつけられて、何も手につかなくなった。ノヴァーコヴァーさんの元へ、すぐにでも飛んでいけたら……。 訃報が届いた10日後のことだった。ヤナから封書が届いた。私がすぐに返事を書かなかったので、きっと同じ知らせを送ってきたのだろう。心の中でごめんなさいと詫びながら封を開けた。黒枠のレターに印刷の文字。(やっぱりそうだった)今度は手紙が入っていなかった。
一応目を通してみようと思った次の瞬間、自分の目を疑った。黒枠のレターには、旦那さんでなくて、奥さんのノヴァーコヴァーさんの名前と亡くなった日付が書いてあった。
頭を殴られたような衝撃で力が一気に抜けた……。(そんなばかな、そんなばかな、なんでノヴァーコヴァーさんまで逝っちゃうの?)
ノヴァーコヴァーさんがまだ元気な頃。ノヴァーコヴァーさんの家のリビングにノリチカも加わりみなに笑みがこぼれる。同じ場所でいったい何度写真を撮ったことだろう。 |
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長い間、私はこの事実が受け入れられなかった。いっぺんに、ふたりの大事な人を連れて行かれることがあるだろうか。それはあんまりだ、と心の中でいくどとなく叫んだ。
チェコで私たちを無条件に愛してくれたノヴァーコヴァーさん夫婦。社会主義の国だったチェコスロヴァキアで当時、私たち西側の外国人と付き合うとどんなことが起こるか、警戒心も損得勘定もなく私たち家族とつき合ってくれた人たちだった。
そんなスープの作り方を考えていると、そろそろヤナに会えるような気もしてきた。娘のヤナなら母親の味をしっかりと受けついでいるだろうし、私もノヴァーコヴァーさんの、あのスープの味が最近恋しいと思うようになってきた。